|
|
桂離宮は建築家ブルーノ・タウトが絶賛し、グロピウスに「限りなき簡素とつりあいの故に最も近代的」と言わせたほど、ここは建築と庭園の調和が優れているといわれます。作られたのは江戸時代の初めで、最初の建設は1615〜1616年頃とされ、このとき桂離宮の中心的建築である古書院が、1641年には中書院、1658年に新御殿が次々と建設され、二度による増築を経て現在の姿となり今も残っています。雁行型でリズミカルと言われる書院は、度々の増築が作り出したものなのです。 ブルーノ・タウトは桂離宮のことを「眼は思惟する」するとその繊細さを評価と比べると明らかに幾何学的な要素が多いからで、個人的にはどうも落ち着かないというのが本音です。宮内庁の案内なので、自由に見れないこともあるのかもしれませんが、でも、同じように宮内庁が管理する修学院や仙洞御所ではそのような感じはうけませんでしたし、どちらかというと修学院や仙洞御所は見ていて落ち着きます。 桂離宮の創健者は八条宮智仁親王であり、その妃はキリシタン大名の娘でした。そうした関係もあってか、西洋の知識や手法がこの桂離宮に取り入れられたのではないかと言われています。桂離宮の中にあってその特徴的なものとして、御輿寄前庭の黄金分割平面、御幸門のビスタ、土橋をアイポイントとした御幸道、マツをアイポイントとした亀甲岬、ソテツの植栽、中秋の観月に合わせた方位角の月見台、すべて一定の高さにすべて刈り込まれた生垣、チェック模様の襖など、数多くの幾何学的要素があります。このように整形的方法が多いのも、西洋知識があったことを示したものと考えることができますし、また、桂離宮が建設された17世紀当時のヨーローッパではパースペクティブやビスタを使った整形式庭園が流行していたのも要因でしょう。 御輿寄前庭の平面は縦横の比率が黄金分割比になっています。人間が最も美しいと感じる比率ということです。確かにこの空間に入ると美しいというより、堅苦しい感覚になります。初めはこの空間が黄金分割比であることをしらなかったので、すごく堅い空間だと感じましたが、その空間からは実に完成された印象を受けたのです。後に黄金比になっていることを知り、なるほど、堅苦しい訳はそこにあったのかと。そうすると黄金比とは美しいかもしれないけれど、緊張感はあっても、居心地は良くはないのかもしれません。そうした感覚は、写真だけでは取れないと思います。 桂離宮は形式上日本古来の地泉回遊式式庭園をとってはいるものの、数多くの部分に整形式庭園手法が取り入れられています。修学院や仙洞御所にはこういった手法はほとんど見ることはなく、借景を基本としたものです。修学院は比叡山と北山連峰を借景に、仙洞御所は大文字山を借景としたもので、このように山並みを借景とした庭園は、湿度の高い湿潤な時には霞が出て、さながら日本画のような山紫水明の景観を作り出します。一方、桂離宮はというと、周りには山もなく桂川が流れているだけで、その川も桂離宮の建築がすべて平屋であるので、中から川を見ることはできませから、内部は完全に完結空間として作られたものだとわかります。 個人的にはやはり日本画的風景の修学院や仙洞御所がしっくりときます。西洋の建築家が桂離宮を見て共感したのは、作庭において西洋的な考え方を感覚的に読み取ることができたからではないでしょうか。私自身は桂離宮には他の庭園にはみることのできない、微妙な緊張感はとても好きではあります。好きですが落ち着かないかな。といったところでしょうか。至る所に意図が見え見えなので、それらを見ているとあまり気分はよくありませんが、かなりすごいと感じます。そういうところが桂離宮の魅力ですね。 でも現在の桂離宮は樹木が成長しすぎて、本来あった全体の整形的な造形はわかりにくくなってきています。宮内庁が管理するようになってから、樹木も現況維持のために切れなくなり、成長する一方です。古書院の対岸からは樹木が多いために建築の全体がみえない状態で、桂離宮の建築がすべて平屋であることからもわかるように、庭園全体は水平を強調した造形であったはずです。今はそれを感じることはあまりできません。成長しすぎた樹木はすべて切ったほうがいいと思うのですが。 ブルーノ・タウトが桂離宮を訪れたのは1933年なので、もう67年も前のことです。この頃は樹木が今ほど成長していなかったはずで、もっと見通しがよかったのではないでしょうか。できればその頃の状態で見てみたいものです。庭園はその多くが植物によるところが大きいので、放置したり管理を怠るとすぐに環境は変わってしまいます。桂離宮は1616年に建設されていますから。当時の樹木などはほとんどないでしょう。あったとしても巨木になってしまっているはずです。ですから建設当時と同じとはいかないものです。ことさら古い庭園はどう維持していくかが難しいでしょう。特にこの桂離宮の場合は整形的造形要素が多いだけに、単なる現況維持だけでは本来の姿は残せないのではないでしょうか。 ここで取り上げている画像は、1994年と1997年4月1日の写真と1996年12日10日のビデオの画像です。1997の夏頃までは桂離宮内の写真撮影は可能でしたが、現在は撮影禁止になってしまいました。苔の育成中だそうです。そうすると苔が生育すれば撮影可能になるのでしょうが、温暖化や離宮周辺樹木の減少のせいか、生育状況は良いとはいえないので、そう簡単にはいかないかもしれません。撮影できるのは当分先?になるのでしょうか。 桂離宮を拝観するには、京都宮内庁へ往復ハガキ参観願(1枚で4名まで申し込める)を出す必要があります。拝観料はいりませんので無料でが、往復ハガキの100円は実費です。当日は宮内庁の案内で拝観することになります。 申し込み方法 他に参観願を出すことで参拝できるものとして、修学院離宮、仙洞御所があります。 修学院離宮について 仙洞御所について 桂離宮 Katsura Imperial Villa 作庭 元和2年(1616) 池泉回遊式庭園 MAP 所在地 京都市西京区桂御園町 Back0 |