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京都市 中京区
Last renewal 2001/08/12 登録3件

高瀬川一之船入 Takase River Ichi-No-Funairi 1st Wharf
用途 河川
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京都市中京区一之船入町

高瀬川は角倉了以が開削した運河で、森鴎外の歴史小説「高瀬舟」でも知られる。中京区樋之口町から賀茂川の水を分岐し、伏見の京橋で宇治川に合流する。慶長19年(1614)の完成したもので、高瀬舟を使ったことから高瀬川と呼ばれた。江戸時代の約250年、京都と大阪の貨物輸送に大きな役割りを果たしてきた。この船入は当時の貨物積卸場で、もとは東北約85m、南北10mほどの掘割であった。いまは東西20m、南北6mほどが残されている。現在は国の史跡に指定。また、川には復元された高瀬舟もある。高瀬川は木屋町通の西を流れるが、木屋町の名はここに材木業者が多かったことに由来するという。幕末のころは勤皇浪士がよく集まった場所でもあった。ここから高瀬川を南へ行くと、安藤忠雄設計の TIME'SI II があります。
下御霊神社
 Shimogoryou-jinjya
用途 神社
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京都市中京区下御霊前町

寺町通りを丸太町からすぐ南へ入った場所にある神社で、大同2年(807)藤原仲成の陰謀の犠牲となり川原寺に幽閉され自殺した桓武天皇第3皇子伊予親王と、その母藤原吉子の霊を慰めるため、承和6年(839)出雲路に創建された。上御霊神社(上京区)とともに皇室の産土神として崇められる。現在地に移ったのは豊臣秀吉の都市改造によるもので天正18年(1590)。本殿は、寛政2年(1790)宮中の賢所御殿を移築したもの。また表門は皇居の建礼門を移したものという。 歴史の長い京都には多くの怨霊が存在し、それらを鎮める祠もまた数多い。この下御霊神社の祭神は、そうした御霊を祭ったもので、京都の中でも特に強い怨霊を八つ祭る神社として知られる。そしてこの八霊を指して八所御霊とも呼ばれている。
六角堂(頂法寺) Rokukaku-do
建設 明治8年に再建
用途 寺院
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京都市中京区堂ノ前町
 
断面をみると左右対称ではなく扁心した形態になっている。引っぱりと圧縮材のバランスを巧みに構成し美しい構造体に仕上げている。 交差アーチとヴォールトの構造を基本としているが、実物を見るとその構造体は細く、重量感を感じさせなかった。これ見る以前に図面や写真等で感じたもとくらべると以外なほど軽く、テント構造のような感じさえ受けた。 それほど幅もなく奥行きの長いカーブした敷地という制約を、この建築は空間においても構造デザインにおいても無理なく自然に利用していることが最大の特徴といえる。

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