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詩仙堂

2000/08/26 Last renewal 2001/08/12
 石川丈山は名を重之といい、家康の下で三河武士として豪勇をもって知られた人物です。大坂夏の陣に抜駆けの功名をあげたものの、軍規違反の処鋼を受けるに至り武士を辞することとなります。その後、学問の道に入いり京都の地に隠棲しました。江戸時代初期の漢詩人としても知られ、書家石川丈山(1583−1672 )として、寛永17年(1640)に建てて以未32年間隠棲した山荘です。この詩仙堂、正しくは凹凸窩(おうとつか)といい、でこぼこの地形に建てた住居の意味でつけられたのですが、一般には詩仙堂の名で知られています。境内には丈山愛好と伝える織部灯麓や、丈由の考案と伝える鹿おどしの僧都(添水)なども残されています。詩仙堂は地形を利用して複雑な形態で作られた数奇屋建築なのですが、中でも特に右上の画像の嘯月楼が小さいながらも印象的でした。各室や茶室には四壁に、中国の36詩仙とその詩を描いた絵をかかげています。その室のひとつに4畳半の詩仙の間があり、そこから詩仙堂とよばれるようになったわけです。瓦茸き・平屋建の建物が多く、創建当初の姿をほぼそのまま残していますが、寛延元年(1748)に一度、建物・庭園が改修されました。しかし、昭和42年(1967)に創建当初に戻すための大改修が加えられ現在に至っています。嘯月楼を玄関側から見たのが左上の画像なのですが、数奇屋建築でありながらもどことなく城郭建築を思わせるところがあります。また、天守閣の出現と共に現れた桃山時代の楼閣建築の影響とも見て取れます。漢詩人として有名な丈山ですが、元は武士であったこと。それに加え当時は城郭建築全盛であったことからも、楼閣建築などに見られる形態を取り入れたのではないでしょうか。嘯月楼下の書院からは、枯山水の庭園を見ることができます。左上の画像がその庭園部分で、ツツジの刈り込みで囲われた中に砂が敷かれています。庭園は枯山水の部分以外にもあり、池や竹林なども作られてはいますが、やはり一番落ち着くところは書院南面の枯山水庭園です。枯山水庭園は比較的小さいのですが、書院が南面と東面に対して完全に開放されている上に、地形を利用して庭園全体の一番高い位置に作られていますから、広く見えるのです。庭園へは建物を出て南側へ、茶室などの建築を配しながら作られていますが、高低さのある複雑な地形に多くの樹種が植えられ、部分的に見るとよいのですが、全体では植物園のような様相だったりします。書院前の枯山水庭園には趣があるのですが、それに比べるとあまり落ち着ける場所ではないように感じます。  拝観料 400円  9〜17時


詩仙堂 Shisen-do
石川丈山 
建設 元禄7年(1694)
用途 山荘
 
MAP
所在地 京都市左京区一乗寺門口町

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