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九段会館(旧・軍人会館) |
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最終更新日:2009年05月09日 DATA 設計者:川元良一
作成者:H.Tanaka |
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右上の写真を見たことは在りませんか?近代建築史の教科書には必ず出てくる建物なのですが、今でも残っているのです。今では左の写真のように、菊竹清訓設計の昭和館というものができてしまい、九段会館の角にもなにやら塔がついてしまいました。(一応外観を合わせたのか・・・機能は立体駐車場です) まあそれはいいとして、このお堀端にある九段会館というのは、昔は軍人会館と言う名前で、軍事的な機能をもった建物だったのです。今では、結婚式場やらホールやら、宿泊施設やらでさながらホテルの様な機能が入っています。あっそうそう、下の写真でわかるとおもいますが、ビヤガーデンなどもやっています。 さてこのもとの姿である、軍人会館について少し。 |
国の流れがそうであり、国のコンペでは、帝冠様式にしないと入選しないというくらいのものでした。そんな中提出作品にアンチ帝冠様式のデザインでコンペに参加し、やはり落選し、「負ければ賊軍」という有名な文章を書いた前川国男がいたり、もう世の中帝冠様式がもっとも日本らしいとさえされた時期でした。 そんな中でこの軍人会館もスタイルとしては帝冠様式であり、今でもその雰囲気が十分と伝わってくるだけに、この建物は今ではちょっと異様な雰囲気を醸し出している感じがします。(ちなみに私は大好きですが) さて、内部に入ると外観からはまったく想像が付かないくらい雰囲気が違います。というか外装以外はすべていじってしまっていると言うことでした。 |
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上の写真が伊東忠太ばりの、顔の彫刻のようなもの。これは、北面にあるホールに対する魔除けだそうです。 右の写真にもありますが、屋根の上には鯱がデフォルメされてのっています。もちろん素焼きの瓦と同じ材質でした。 これら、魔除け的なものは当時からそのままだそうです。 昭和初期の建築や伊東忠太の建築は細部の彫刻などが必ずと言っていいほど登場し、時には重要な意味を持つものもあります。 |
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さて屋根関係の話しをしましよう。 |
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さて、外観以外は全て改修してしまったということを話しましたが、別に歴史家の人達が、この建築の保存運動をしてファサード保存をしたわけではありません。 |
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文責・写真:H.Tanaka