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青山アパートメントハウス |
最終更新日:2008年07月13日 所在地:渋谷区神宮前4-12-10 関連サイト
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原宿から表参道を下り、しばらく歩くとこの青山アパートメントハウスに出会う。今まで何回かこの表参道を歩いていたが、真新しいデザインの建物の中、全く違和感が無く、異様に感じていなかったのは、今でもこの建物のデザインが旬であるということではないだろうか。 上の全体写真が、表参道と青山アパートメントハウスです。この表参道の通りに面している部分以外に、裏側にも建っています。しかし2000年中には住民、店舗の立ち退きがあるとの噂、2001年には取り壊しという噂(あくまで噂です) |
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左の写真は階段室と各住居への入口写真。それほど高くはない階高。各住居は店舗、画廊など各々内装は改造を施し、それぞれあまり原型を止めていない。 |
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樹木には余り詳しくないので落葉樹くらいしかわかりません。アパートの高さと同じ位に成長しているのでアパートのファサードはなかなか見ることが出来ないのですが、道路を挟んで見ると、やはりいい意味でも悪い意味でも“古いアパート”といった印象を受けます。しかし、もしこの建築が無くなったら表参道の顔が無くなるのは確実でしょう。経済優先、容積率を出来るだけ使わなくては採算が合わないというやり方をしている立場の気持はわかりませんが、『経済優先』という一言でこのアパートが壊されるとしたら納得はできません。 |
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左の写真、右からBMW、グロリア、?、セルシオ?などの車が止まっています。見た感じ住居として住んでいる人は外国人が多いといった印象。 |
最後に
ここ最近(2001年3月現在)同潤会アパートがメディアで取り上げられることが多くなりました。CM、ドラマのロケ、東京の情報誌、建築系の雑誌など。建築関係の人と一般の人との共通の言葉として使われつつある“同潤会アパート”は今まであまり無かった注目のされ方をしている様に感じます。例え同潤会という言葉を知らなくても「表参道のアパート」とか「渋いアパート」などですぐ分かってもらえるのはとても驚きであり、うれしいこと。
その他私の個人的なサイトでもう一つレポートがあります。
『青山同潤会アパートが無くなる!!!』
同潤会アパートに関する資料は
『建築書評・近代建築編』
現在、建築家安藤忠雄による同潤会建て替え計画が進行中であり、当初あった小学校との合体案は×、分離案として進んでいるとのこと。ある講演で氏が「私があまり無茶なことを提案するとそのうちくびにされちゃうかも知れません」と言っていたのが印象的であった。
参考1
「1924(大正13)年に、関東大震災に寄せられた義損金をもとに、内務省の外郭団体として同潤会が設立されている。
同潤会は罹災者の授産事業と住宅供給事業を目的に設立されたが、授産事業の方は1929(昭和4)年に同潤会から分離されている。同潤会の行った大きな仕事の一つに、鉄筋コンクリート造アパートの建設がある。
1941(昭和16)年に住宅営団へ業務を引き継いで解消するまでに、16団地109棟、2738戸(不良住宅改良事業を含む)の鉄筋コンクリート造アパートを建設している。
スクラムクリアランスを目的としたもの、単身女性を対象としたもの、サラリーマンなど中流階級の人を対象としたものなど、さまざまなタイプのアパートがつくられ、都市における新しい住様式を追求した間取り、施設、配置計画などが試みられた。中流階級を対象としたものには、青山アパートメントハウス、代官山アパートメントハウスや江戸川アパートメントハウスなどがあり、モデルとしてつくられた江戸川アパートにはエレベーターや社交室、娯楽室の他、暖房のラジエーターや電話も備えられている。」
参考2
同潤会は内務省社会局によって関東大震災の義損金より1000万円を支出して設立された財団法人。青山アパートは大正14年から2期にわたって建設された10棟138戸からなる。住戸は階段をはさんで両側に配され、階段室屋上には共同浴場がある。
明治神宮の表参道に面して建つ建築群は、新しい都市住居のあり方を提言しようとする意気込みに満ちたものだったが、階段を挟んで住戸を配するのは英国19世紀の労働者住宅改良の試みのなかで生み出されていた計画手法である。現在、再開発計画が進行中であり、安藤忠雄による再生計画が練られている。