万博と聞いて思いうかべる万博によって、年齢がわかってしまったりするが、やはり日本における万博といえば1970年に開催された
日本万国博覧会が一番日本の万博史の中でインパクトがあったのではないだろうか。
そんな大阪万博も開催から30数年がたち、去年以来続々と当時を残す建物が壊れていこうとしている。この国立国際美術館も2004
年1月18日をもって閉館し、取り壊される事が決定している。
閉館になる理由を美術館側は色々な理由で答えている。劣悪な交通便、建物の老朽化、スペースの不足を大きな問題として挙げて
いるが、交通便の悪さは仕方ないとして(確かにお世辞にも良いとは言えない)、建物の老朽化・スペース不足というのは取り壊しとい
う理由に価するのだろうか?下の写真を見る限り、万博には充分新館・別館等を建てる場所はある、老朽化も休館をして直す等の事
は考えられるだろう。
そもそも美術館・図書館などは所蔵品が増えていく事は容易に想像できる、老朽化に関して言えばどんな建物にも付きまとう問題で
はないだろうか?話題になりながらオープンし、古くなったからといって取り壊しているのでは建築家はたまったものじゃないだろう。さ
らに移転の繰返しは芸術文化の地域密着性を薄くし、芸術への関心への低下は否めないのではないだろうか。この国際美術館は4月
に大阪市内の中之島という立地的には今とは比べ物にならない場所へ移転するが、ここも数十年後には壊されてしまうのでは?と今
から思えてならない。
万博のシンボル太陽の塔を背にお祭り広場から撮った 風景。左にある鉄の残骸はお祭り広場の屋根のアーケ ードの一部、作者は丹下健三氏。その隣はエキスポ記 念館(現在も使用中)。右にあるのが国際美術館。万博 当時に名称は万国博美術館という名前で建てられ、万 博閉会後、改装し77年に国立国際美術館として再デビュ ーとなる。パビリオン等を美術館・博物館等に閉会後使わ れる事は多いが、ここは元々美術館として使われている事 から、閉会後も美術館として残る事を前提に建てられたの かは不明。 |
最後の特別展示は、この美術館を 建てた川崎清氏の特別展。 | 今では珍しくないが、当時はピン ポイントで支えられたガラスの壁 は最先端だったのだろう。 |
吹きぬけになっているロビー部 分。すでにここに飾ってあった 絵などは移管されてなかった。 | 階段状に作られたガラスの ルーバーは自然光を調整 するためのもの。 |
現在夕方になるとガラス壁ライトを点灯させライトアップの様子が楽しめます。
最終更新日 2004年1月25日