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2000年のミレニアム事業として、ロンドンではテムズ川南側(バンクサイド)の再開発という謳い文句の元、テートモダンの開館、市庁舎の
移転、ロンドンアイ(観覧車)の建設、地下鉄ウォータールー路線の拡張など様々な都市開発が行われてきました。ミレニアムブリッジも、そ
んなミレニアム事業の1つとして、1894年のロンドンブリッジ以来、実に1世紀ぶりに新しい橋をテムズ川にかける事になりました。
もともとテムズ川は地下鉄やバスなどが発達する以前はロンドンの動線として主要な役割をもっていました。ところが交通網の発達、加えて
テムズ川南側というのが倉庫を主とする観光地ではない地帯だったため、今まで忘れられた地帯として残っていました。
そんな忘れられた地帯を再開発し、驚くほどのスピードで見事に活気ある地帯に変身したバンクサイド。テートモダンも開館し、建築前は非難
の的だったロンドンアイも今や見事にロンドンのランドマークとなりました。そして新しくできたテートモダンへのアクセスをより便利にするミレニ
アムブリッジが2000年6月10日に見事開通!!と思いきや、試験段階ではありえなかった【横揺れ】が生じ、あえなく3日後に閉鎖。そしてミレニ
アムも過ぎ去った2002年2月22日に再開通となりました。
開通当時の【横揺れ】の酷さを私は知りませんが、現在はその当時に比べればかなり抑えられてるのだと思います。…が、実はテートモダン
へ私が行った時に突然非常ベルがなるという非常事態が起こり、館内にいた入館者全員が外へ避難するというハプニングがあったのですが、
この時に大勢の人がミレニアムブリッジを通って対岸へ渡っていったためか、私としては結構揺れを感じました。所詮は吊り橋、揺れを無くす事
は不可能だという事でしょうね。
写真左:橋へのスロープ横とケーブル 写真右:スロープ後ろ側
橋は両サイド各4本のケーブルで吊られています。橋へのアプローチは、テート側もセントポール側も段差のないスロープになっているために
車椅子の人にも渡りやすい作りになっています。もともとこの橋は歩行者と自転車専用の橋のために作られているので、他の橋と比べれば車
椅子の人には渡りやすいでしょうね。自転車に乗った人は平日の朝の通勤時間に数人見かけた程度でした。
写真左:ケーブル 写真右:ミレニアム事業の記念碑 揺れた当時のこの橋の愛称は【webbling bridge(ゆら ゆら橋)】そしてフォスター卿は【Lord webbly(ゆらゆ卿 )】と呼ばれていたそうな!フォスターの正式名【Lord Foster of Thames Bank(テムズ川卿)】。ロンドンっ子 のジョークもなかなキツイですね。 ミレニアム事業で建設された費用の1部はメジャー政 権下で考えられたロッタリー(くじ)から出されています 。写真右のMマークは、ミレニアム事業で作られた建 物には絶対にはいっています。くじの費用を公共事業 の1部に使うというのは、欧州では珍しくなく、中世の 頃から古くは行われています。 |
写真右:テートモダンを後ろにして撮った1枚 橋は2つのY字型の橋げたによって支えられています。このY字型の 橋げたは、フォスターのこの橋へのコンセプト【優雅な剣・光の翼】を 見事に演出していると私は思いました。 右写真の左にセントポール寺院が見えていますが、新しくできたテ ートモダンと古くからあるセントポールというロンドンの新旧の観光名 所を繋ぐという意味でも、このミレニアムブリッジは機能しているの ではないでしょうか。 |
写真左:セントポールを後ろに撮った1枚 テムズ川南・テートモダン側にはテートモダンへ行く最寄駅というの が現在はありません。1番良いのはバスですが言葉の不自由な 外国人観光客にはバスは地下鉄に比べて使いにくいですよね。現 在1番近い地下鉄駅はテートから見て川向こうになるセントポール 駅。ここからミレニアムブリッジを渡るのが1番良いアクセスです。通 行という橋の1番の役割もきちんと果たしているミレニアムブリッジ、 それを考えると通行できなかった約2年は非常にテートへのアクセ スは悪かったと思います。この橋が恒常的に使われる為には、交通 網の発達はしてはいけない事なのでしょうね。 |