鯛よし百番と飛田新地

難波新地乙部遊郭が1910年に全焼したのを受けて、1916年に飛田遊郭が生まれました。1912年に完成した旧通天閣を中心とした新世界は、第1次大戦後の好景気で大いににぎわいます。新世界からほど近い飛田遊郭も昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ねます。

戦災でほとんどの店は消失しましたが、再び赤線としてよみがえり、1958年の売春防止法以後は料亭に転じたことで、現在もなお、伝統的雰囲気を色濃く残す街並みとその営みが保たれています。

鯛よし百番は大正初期に遊郭として生まれ、戦後は内部が大改装されて、持ち主も替わり、現在では(本物の)料亭として営業しています。なお、写真撮影は2003年4月です。







建物名: 鯛よし百番
所在地: 大阪市西成区山王3-5-25
設計者: 不明
用途: 料亭(元妓楼)
構造・規模: 木造2階建、建築面積291u
竣工: 1918年頃(戦後内部改装)


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飛田新地とその周辺見取り図
通天閣の立つ新世界から南に下ると、西に労働者街西成区あいりん地区、中央に飛田新地、東には阿倍野再開発地区があります。
あいりん地区ではこの不景気のなか、労働者があふれ、一方、都市再開発法適用第1号事業として有名な阿倍野再開発地区は、かつての木造密集地区から、いまではすっかり近代的な街に生まれ変わっています。飛田新地はその両地区に挟まれた場所に位置しています。

通天閣
1956年竣工の2代目通天閣です。高さ103mで、内藤多仲の設計です。当然、純鉄骨造と思っていましたが、なんと2階を支える脚部はコンクリート製でした。SRC造でしょうか。
新世界
ふぐの巨大提灯が下がっています。道頓堀にも劣らないすごいディスプレイです。
通天閣から南に延びるアーケードは
これが通天閣展望台から見たジャンジャン横丁です。
ジャンジャン横丁のさらに南は、
これが目指す飛田新地、高速道路の左手の木造密集地域がそれです。そのさらに左に高層ビルが少し見えるのが、阿倍野再開発地区です。
ジャンジャン横丁入口
通天閣を出て、にぎやかなジャンジャン横丁に入ります。
ジャンジャン横丁を南へ
串カツ屋、将棋所を横目に見ながら南へ進みます。昔、三味線をじゃんじゃんならして、飛田遊郭に客を引き込んだことから、通り名が生まれたといいます。
動物園前商店街
大通りを横切ると、ジャンジャン横丁から動物園前商店街に名前が変わります。これは朝7時の写真なので、お店はまだ閉まっています。
飛田遊郭の塀
堅気の街から遊郭を隔てる塀が一部残っています。高さ5メートル程度のコンクリート製の塀です。クラックなどもなく、しっかりしています。
大門の門柱(南側)
ここが飛田遊郭入り口の大門跡です。
大門の門柱(北側)
門柱脇には飛田交番があります。ここから幅がおよそ10メートルの大門通りが東に延びています。
これが飛田新地(以下、早朝)
左右の長屋には間口2間程度の店が並びます。150軒ほどあるそうです。正面奥は阿倍野再開発地区の高層マンションです。
注意:なお、この地域では決してカメラを堂々と持って歩いてはいけません。十分、注意してお歩きください。また、女性の行く場所ではありません。
ずらりと並ぶ料亭
午前中から営業している店も数件あり、歩いていると呼び込みの声がかかります。壁から突き出している看板と提灯は統一仕様になっています。
これが標準ユニット
2階の腰壁から突き出た屋号の書かれた店の看板、1階は玄関脇に提灯、両引きの玄関扉があって、その脇に格子窓、さらにその隣に通用口があります。扉が開くとこの玄関の中がものすごいのですが、そこは別世界、建築分野ではないので紹介は控えることにします。
アパート風建物
女性が好みそうなハウスメーカー風の意匠と女性の嫌うはずの建物機能とがミスマッチしています。
モダン洋風建物
戦後、和風の店に加えて、カフェーと呼ばれるモダンな楼閣が出現したといいます。これはそのひとつでしょうか。
その詳細
モダンな外壁に船のような丸窓、2階窓にもステンドグラスが入っています。
げたばきマンション
1、2階が店舗、3階以上がマンションになっています。
こんな立派な店もある。
これは古そう。なかなか立派な店構えです。鯛よし百番にも似ていますが、1階外壁がモルタル塗りで、窓格子も鉄製です。色もだいぶ地味です。
鯛よし百番(ここから夕刻)
大正初期に建てられた妓楼を料亭として使っています。当時はきわめて格式の高い店であったといわれます。1階に格子窓、2階に高欄、入り口は道路角に置き、唐破風を配しています。2000年2月に登録文化財になっています。なお、この店は料亭なので、内外を撮影しても大丈夫です。
入り口を入ると
顔見世の間です。昔は若い女性がずらりと並んだ...かと思いましたが、開業年次からするとすでに禁止されているはずなのだそうです。
玄関
右を向くと玄関です。ここで靴を脱いで下足箱にいれます。ここを左に行くと、
陽明門
突如として、日光東照宮の陽明門が現れます。
陽明門ディテール
龍はいませんが、獅子が守っています。この奥には、
ねむり猫もいます
本来、陽明門にはいませんが、東照宮にはなくてはならぬ存在です。鳩よけの金網まで再現している(?)のはなぜでしょう。手が届くので人間よけかもしれません。
日光の間(奥を見る)
陽明門をくぐると、中は応接間になっています。この建物は外から見ると連窓格子窓に見えます。ところが内部は実は壁になっており、格子窓に見えるのはダミーであることがわかります。
日光の間(振返って入り口を見る)
これが陽明門の裏側にあたります。両脇には徳川家の葵の紋が見えます。
中庭
中庭があって、木で見えませんが日本庭園になっています。
住吉反橋
この中庭を太鼓橋で渡ります
桃山殿
桃山殿は紫苑殿、鳳凰、牡丹からなる3間続きの大広間です。ここが最高の見せ場です。
牡丹の間の板戸絵
桃山殿は格天井、欄間彫刻、襖絵と、豪華絢爛仕様になっています。かつては、この大広間でのにぎやかな宴の後、2階の個室で一晩を明かしたのでしょうか。
清浄殿
ようするに便所です。中央には牡丹、両脇を孔雀が固めています。腰の高さの錺り金物も孔雀を象っています。
清浄殿内部
便器は普通ですが、天井には花々が咲き誇り、壁には日本庭園の絵が描かれています。床と壁がタイルなので、なんとなく銭湯風でもあります。
2階廊下
ここからが2階です。このあたりは普通ですが、
東海道五十三次・島田宿
と書かれた道標が立つ、派手な壁です。残念ながら、お客さんが入っているので覗けません。
鈴の間、これが本日のお席
比較的普通の和室でした。ちょっと残念。隣の部屋の声がよく聞こえます。遮音性はありません。意外ですが、考えてみれば日本家屋ではあたりまえかな。2階にはさまざまな意匠を凝らした13の小部屋と舞台をもった大広間があるそうです。
回廊
ところが普通でないことに窓側のふすまをあけると、なんと窓と座敷の間に幅30センチメートルほどの回廊がありました。狭くてカニ歩きでないと通れませんので、廊下としての機能はなさそうです。なにに使うのでしょうか。
夜景
食事を終えて出てくると、すっかり暗くなっています。飛田新地はこれからが稼ぎ時です。


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最終更新日:2004年8月28日

作成者:じいきえん

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