|
|
びょうどういんほうおうどう 平等院鳳凰堂 Byodo-in Ho-o-do |
|ホーム|インデックス|掲示板|リンク|このサイトについて|参加のご案内|
平等院鳳凰堂 所在地:京都府宇治市宇治蓮華 拝観料:500円 Camera: 作成日: 最終更新日: 作成者: |
10円玉のデザインで有名な平等院です。
ノストラダムス然り、いつの時代にも世の終わりを告げる思想が流行します。この鳳凰堂が出来た当時も末法思想(まっぽう
しそう)というのがあり、その終わりが1052年(永承7)となっています。 では、阿弥陀堂とは何か? それは阿弥陀如来(あみだにょらい)を奉るお堂ということです。阿弥陀さんは、西方の極楽浄土に住んでいる教主。そしてこの平等院のお堂内での阿弥陀さんは座って手を組んでいるスタイル「定印(じょういん)」をとっていることから、瞑想している真っ最中。どうやらこの鳳凰堂は「極楽浄土で瞑想中の阿弥陀如来」を再現しているようですね。鳳凰堂というのは、プランが鳳凰の形をしているからそう呼ばれているだけで、正式には平等院阿弥陀堂と言うべきなのでしょう。
人々は死んだら極楽に行きたいと願います。宗教上の解釈では「死ぬ」のではなく「極楽に行って生まれる」という考えなので、往生(おうじょう)といいます。お堂内は阿弥陀さんを中心に、雲に乗って極楽から迎えに来た像や板絵がぎっしり並べられています。「阿弥陀九品来迎図(あみだ
くぼん らいごうず)」というのですが、この話だけですごい量になるので省略。
上の写真をじっくり見てもわかるように、本来の鳳凰堂は「丹塗り(にぬり)=朱塗り」だったようですね。平安神宮のようなあの色の雰囲気を想像してもらうとわかりやすいかと思います。社寺仏閣はめちゃくちゃ派手なものと地味な宗教といろいろあるのです。
話をまとめましょう。 藤原頼道は末法思想の中、せめて来世には極楽で生まれ変わりたいと願う。そのために極楽浄土をここに再現してしまったのです。疑問に思うのは、頼道がこの平等院のどこに居たのか?ということ。まさか鳳凰堂の中で寝起きしていたとは考えにくい。池の向こうに行くことは往生したことになるのですからね。たぶん阿弥陀さんを毎日拝める場所に屋敷があったと推測できます。つまり今回写真を撮った場所、池をはさんで向こう側の鳳凰堂が見えるような位置のどこかに頼道が寝起きする屋敷があったのでしょう。 もちろん、極楽に連れてってもらうための言葉は「南無阿弥陀仏」。極楽往生を願って南無阿弥陀仏と唱えれば、必ず極楽へ行けるという実に他人任せな考えかた。ここに「他力本願」という言葉の語源があるのです。つまり「他力本願」というのは、「自分では何もしないでいい」という意味ではなく、最低でも阿弥陀にすがる気持ちがないと
成立しない言葉なのでした。 ちなみにこの池は「蜘蛛の糸」の話に出てくるあの池ね。 宗教をより神秘的にするための演出というのは、よく考えたら教会も似たようなことをやっていました。鳳凰堂は1053年に完成するのですが、この時代の西洋建築はどんな時期だったのでしょうか。 西洋の11世紀はロマネスクからゴシックにちょうど変わる時期、建築技術面でいうなら、連続したアーチ天井を設けたトンネル状の教会しかなかった時代に、アーチをたすきがけにした交差「rib
vault(リブ・ボールド)」で一面壁にしか出来なかった部分に柱を設ける。柱が出来たので構造を支えない部分、つまり大きな開口部が取れるようになる。かつて荷重を壁一面で支えていたが、今度は柱で荷重を受けるので、その柱をサポートする寄りかかり柱「flying
buttress(フライング・バットレス)」で補佐する。一方、開口部を大きく取れるようになった分、ステンドグラスが発達・発展する。 宗教こそ違うが、やっていることは教会も鳳凰堂もなんら変わりはないと思いませんか?日本も遅れてはいないぞ〜 こうして考えると、この鳳凰堂はさながら「天国体験ツアー」とでも言いましょうか。 |
(C) Copyright 1998 FORES MUNDI All Rights Reserved.