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Kyoto Central Telephone Office 京都電電ビル西館旧:京都中央電話局 |
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京都電電ビル西館 設計:吉田鉄郎(逓信省技師) Camera: 作成日: 最終更新日: 作成者: |
逓信省(ていしんしょう)という言葉はどうもなじみが薄いですが、郵便部門と電信電話部門が合体した省であったと考えてもらうとわかりやすいと思います。 明治維新以降の日本は、国家の建築とはどうあるべきか?を模索する時期に入ります。そこで外国人設計士ジョサイヤ・コンドル(Josiah Conder)氏をイギリスから招き、次々と日本人設計技師を世に送り出してゆきます。つまり日本の設計士とは「官」の建築をすることが任務であり、その手法は西洋の模倣「パッケージ・デザイン」の時代へ入ってゆくのです。 ながいウンチクでしたね。この分離派と呼ばれるメンバーが現われたこの時代に、まさしく吉田鉄郎氏が生きています。それを踏まえてこの「官」の建築を見てください。
そう考えると、今までの西洋コテコテ装飾のパッケージ・デザインから随分とスッキリしていますよね。しかしどことなくかつての手法も残っている、ちょうど中間というべきか模索が始まった設計なのです。
彼は1931年にドイツに留学に行っています。その後、彼の設計した東京中央郵便局(1933年)や大阪中央郵便局(1939年)と今回紹介した建物(1931年)を比較して見てください。彼が何に影響されたのか?どういう方向に進んで行ったのか?その移り変わりが手にとるようにわかります。 それが、国際様式(インターナショナル・スタイル:International Style)の採用でしょう。 「国際様式」。より具体的には、1920年代のヨーロッパで流行した、機能主義的な立場から試みられた形態文法を特徴とする建築様式のこと。この言葉は、ヘンリー・ラッセル・ヒッチコック(Henry
Russel Hitchcock)とフィリップ・ジョンソン (Philip Johnson)の二人による造語であり、1932年にニューヨーク近代美術館で開催された「モダン・アーキテクチャー」展以降広く喧伝されることとなった。二人によると、「インターナショナル・スタイル」の建築は、「静止した量塊」ではなく「平面を包み込むヴォリューム」の効果が強調されている点で、均衡を重んじる古典主義建築と大いに異なっているのだという。具体的な特徴としては、無彩色・無装飾の壁面か、内部空間の自由な間仕切りが挙げられる。二人によるこの定義は、もちろん「インターナショナル・スタイル」の中心を担う建築家がル・コルビュジエであるとの前提に立ったものであり、事実展覧会カタログもル・コルビュジエの主著『建築をめざして』に準拠していた。この展望は先駆的で、以後南北アメリカやアフリカでも盛んに「インターナショナル・スタイル」の建築が試みられ、この様式は典型的なモダニズム建築としての地位を獲得、後のポストモダニズム世代にとっての更新すべき権威となっていく。
現在この建物の敷地内で工事をしています。建物本体は廃墟になっていますが、建物を残しながら工事が始まったところをみると保存・再生の方向に進むでしょう。何気なくこの建物を見たら「なんて汚い建物なんだろう」と思って当然でしょうが、こうして調べてから見に行くとまた違った見方ができると思います。 |
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