今回は、場所が違う2件を紹介します。なぜ、別のページに作らなかったかというと、新旧入れ替わった建築物だからです。まずは、現在のJR二条駅を見てもらいましょう。
なんと言えば良いのやら、なんとも不思議な駅舎に生まれ変わりました。あ、そうそう、この駅は自宅の最寄駅なんです。できた当時は、とても日常的な場所に「カブトガニ出現!」という印象でした。最近は見慣れましたが・・。
ホームは2階ですから、とりあえず入場。
この駅、なにが凄いかというと、木造トラスなんですよ。
接着剤の発達のため木材をくっつけて1つの部材に仕上げてしまう「大断面集成材」を使ってトラスを組み、屋根をかけているという構造。素の木材よりも耐火面・強度面でも優れているという話です。
人がいないとスケール感がわかないと思うので、電車と人が写った画像も載せておきます。いまどきの「ジベタリアン」少年たちも写ってます。こういう光景を見るたびに、「世間の人々は座る場所を求めてるのに、なぜそれを考えて設計しないのだ?」と思うのです。けっして少年たちが下品なのではありません。ホッとできる場所を提供しない設計者が悪いのです。
なんだか山小屋風というべきか、どっちかというと田舎向きの雰囲気をかもしだしてます。この画像を撮った日は、とても暑い日でした。窓ガラスも防風・騒音壁もないから「吹きさらし」です。夏だから良かったものの、冬は極寒です。
今回は辛口に書かせてもらいますよ、まったく。この画像は、二条駅をもう少し遠くから見たもの。雑誌などでは絶対見せない二条駅の全体像です。実は「カブトガニ」部分だけでは電車は入りきらないのです。その左に見えるのが全国共通のあの駅屋根。なんだ、それなら何のために、この駅舎を改築したんだ?滑稽極まりない光景です。お金が足りないから残りはこれで・・・という雰囲気すら感じる。結局、当時1996年にしては珍しい木造トラスを作って見たかっただけじゃないのか?
こんなに電車がはみ出るハミチン駅。
さて、旧二条駅は梅小路蒸気機関車館の玄関口として移築されました。
なぜ、そこまで大掛かりになったのかと言うと、現存する和風の駅舎では日本最古のものだったからです。旧二条駅舎は明治37年に景観に配慮しながら平安神宮を模して造られた
とか。よく見れば大屋根に鴟尾(しび)があったり縦長の窓を見ていると、「和」の建築に「洋」が入りだした明治建築の優雅さがちらほら。
見よ!この優美なファサードを。
ちょっと残念なのは、もともとこの二条駅は東向きに建っていたのですが、移築後このファサードがほぼ北向きになったためか、暗い印象を受けました。移築するなら方角まで検討して欲しかったなあ。
建物の向きでこんなに表情が変わるのですね。少なくとも今の二条駅みたいな内容の薄っぺらい建築じゃない、ということさえ分かってもらえたら嬉しいです。
まあ、僕にとっては幼少のころ写生会や遠足など本当に日常に使ってきた建物だけに、こうして移築された旧二条駅を見ていると、お墓参りに来たような気分になるのです。蒸気機関車の博物館に移築されただけに、やっぱりここは墓場なのだろうか。