Flank Lloyd Wright(フランク ロイド ライト)が、帝国ホテルの設計のために来日したのは1916年(大正5年)。それまでの彼の「人となり」は、帝国ホテルのページで紹介しています。
翌1917年(大正6年)、当時26歳だった遠藤新(えんどう あらた)は、ライトと共に仕事をするようになります。その為、ライトが日本で設計した建物は「フランク ロイド ライトと遠藤新の共同」といっても過言ではありません。帝国ホテルの設計と同時期に自由学園明日館と、この山邑太左衛門(やまむら たざえもん)邸があるのです。
とにかくロケーションがズバ抜けて良い。
阪急「芦屋川」駅から山側を見れば、上の画像のように木々の間からチラリと建物が見えています。芦屋が高級住宅街とは噂に聞いていたが、ここまで別世界だとは思いもしませんでした。駅前にコンビニもなければジャンクフード店もラーメン屋もパチンコ屋もない。近くで昼食をとるために喫茶店に入れば、外国人ファミリーがお食事中。また絵になるのよこれが。食事中ぼぉーっと外を眺めてみると、通る車はほとんどベンツかBMW。この喫茶店に寄る為に駐車した3台すべてがベンツという凄さ。この街を去るまで、改造車や茶髪・金髪の少年少女なんぞ、一度も見ることはありませんでした。
急斜面を登ること5分、おなじみの大谷石と軒の深い建物が見えてきました。
帝国ホテルでも見たことのあるディテールがチラホラあります。玄関前を広くとって、雨宿りにもなる場所っていつの時代でも親切だと思いませんか。授業が終わってからとか、コンパ終了後の店の前など、多人数がいっせいに帰るイベント終了時の建物の前には、こういうたむろする場所があると非常に助かります。そう、かつての住宅は人を招くための仕掛けがちゃんと用意されてたんです。いつから風呂と寝るところしかない住宅になったのでしょうか。
「イベントは外で済ませば良い。」この現代の生活感覚が、住宅文化をラブホテル級に下げてしまったのかも知れません。
この館内の撮影は禁止されているので写真がないのですが、かなりの人数を収容できる応接間が2階にあるんですよ。人を招くための家。ピロティー上部がその応接間になっています。客車みたいな雰囲気でしたよ。
玄関口とその反対側を見る
ライトの素材の使いかたは、日本のことを意識して作ったとはお世辞にもいえません。しかし建物全体を見ると、彼の作風から水平線が強調されるので、どことなく和を感じさせてくれるのです。
この急斜面を利用して階高が増えるごとに一層づつ山の方へズレている。そして海と街を一望できるこの景色。この場所でしか成立しないプランということです。
最上階は食事が出来そうな部屋と、その隣から海と神戸を見渡せる屋上に出られます。陸屋根(ろく やね)の特徴を生かしてますね。
山邑邸からの眺め
山邑邸が完成する1924年(大正13年)までに、ライトは帰国しています。基本設計はライトでも実施は弟子の遠藤新氏に任せたのでしょう。こうして住宅建築を得意とするライトの作品を、こうして近くで見られるのはとてもありがたいです。
館内にビデオでの解説やフランク ロイド ライトの説明ボードがありますから、時間のあるときに見学に行きましょう。芦屋川駅と山邑邸の中間ぐらいに小橋があります。その西詰に上記で書いてた喫茶店があります。建物見学ついでに芦屋の雰囲気を味わってきてください。