ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする。
この歌は明治4年の断髪令が発布されたときに流行した一節。歴史の教科書を思い出してみれば、廃藩置県が1871年(明治4年)。明治新政府による地方行政が始まったばかりの時代に三重県庁舎は建てられる。
新しい日本になったのだから、建物も斬新でなくてはならない。具体的には左右対称で、洋風で、敷地にゆとりがあり威圧的。文明開化の記号としては、じゅうぶんふさわしい建築構成方法であった。
県庁舎にしてはあまりにも豪華すぎる仕上げ。当時の県庁舎には地方行政の機能だけでなく、天皇の宿泊の場所としても利用されていたことが大きな理由である。天皇の旅行、つまり行幸は、文明開化と新政府の威勢を示すための宣伝活動でもあった。天皇とは神話的でもあり広告塔でもあり・・矛盾した二面性を持っているのです。
鹿鳴館って何だったか覚えてますか?鹿鳴館とは、治外法権など不平等条約の撤廃を願い、外国人に「文明国日本」を印象づけるため、外国人を招いたパーティーが毎週のように開かれていた建物。当時の都道府県庁舎にはそんな「地方の鹿鳴館」という性格もありました。
この三重県庁舎も1階正面を入ったところに大きな応接所が二部屋設けられていて、いかにも文明の殿堂といった風情を漂わせている。
さて、ディテール。
扉や額縁は、いったんペンキでべた塗りをした後、別の高価な木材種の木目を描いてゆく木目塗という手法。これがですねぇ、ちゃんと木目模様になっているところもあるのですが、たまに上の画像のような超ヘタクソ模様の箇所もあるのです。笑っちゃいますよね〜
まぁ木材のランクアップを目指して塗ったのであって、現在のように大理石でもないのに大理石に見せる材もあるくらいですし、この木目も再塗装しているのだろうし、この程度は愛らしいものです。